もう30年も前の話になるが10数人のグループを率いて課長をやっていた頃は忙しくて残業が100時間を越えるのは日常的なことだった。特に1984年はひどい年だった。
今まで経験したことのないあるプラントの制御系のソフトを作成するグループのリーダーとして工場に優秀な部下2人を率いて派遣された。この2人は本当に優秀だった。私は扱うコンピューター言語も初めて、制御系も初めての初めてづくしで、派遣先の担当者も若いが優秀で、それが災いして関係を作り上げるときにイニシアティブを取ることができず、ニーズを理解できずに設計が遅々として進まなかった。日程は遅れっぱなしで、心配した上司が色々人を送り込んでくれたが、一度つまずいたプロジェクトはなかなか軌道には乗らず、それでも何とかオランダの工場への納品までこぎつけた。
この間は顧客、上司、手伝いに来た社員から批判を一身に浴びて、こちらも済まないという気持ちから毎日が地獄のような日々だった。
その年はいつになく新卒の女性が大勢入ってきた。いつもは2、3人だったのが7、8人近くは入って来て、またその娘たちが当時流行っていたキャピキャピ女子大生そのままだった。明らかに男性従業員は足元がふわふわと浮いていた。あっちこっちと走り回って若い男性社員に媚を売っているし、彼等も満更でもない様子だった。可愛らしい絵のついたメモ用紙で伝言などしているのだった。私は出向のような形で外に出ていたのであまり馴染みがなかったし、課長でもあったし、若くもなかったし、状況が逼迫していたので怖い顔をしていたろうしで、敬遠もされていたのだろう、あまり彼女らとは接触はなかった。
彼女らの数人もプログラムの手伝いに来たが、私が彼女らの作ったものに不満で「なあんだ」と失望の念をあらわす独り言をつぶやいたら泣きそうな顔をしていたと部下に教えられた。「あれは可哀想ですよ。他に言い方がありますよ」と。自分では意識していなかった。
実はキャピキャピが嫌いだった。というか反発を抱いていた。だからいい顔なんかするものかと思っていた節がある。
当時、オールナイトフジという番組が土曜の深夜に放映されていた。これにオールナイターズという素人の女子大生が十数人出演していた。彼女らはまさにキャピキャピ世代なのだ。そしてこの中から三人が選ばれて「おかわりシスターズ」というグループを形成してアイドルとなって行った。これが後の「おニャン子クラブ」、「モーニング娘。」、「AKB48」に繋がって行った。
土曜日も休めない忙しい一週間が終わって家に辿り着いてテレビのスイッチをひねると彼女等が自分達のレコードのプロモーション・ビデオを流してキャピキャピしている。「何だ、こいつら」と思いつつも心が癒されていた。
そして地獄の日々から解放されて会社を辞職する決心をした。米国へ英語留学をしようと思い立ったのだ。とにかく人生を変えたかった。30半ばに手が届こうという歳だった。そのまま中年のおじさんにはなりたくなかった。
米国の大学の留学生のための英語教室に8ヶ月、英国に3ヶ月、欧州旅行を1ヶ月。
帰国後、英国で知り合った今の妻との生活。
本当に人生が変わってしまった。今、思い返してみると、1985年を境にまったく異なる人生を送ってきた。何かワープしたような感じで、そのころが30年も前に思えない。
そして今YouTubeで彼女等を見ていると、あの頃の思いが重なって深い感慨に浸ってしまうのだ。