2015年4月7日火曜日

占い

昼に食べた海鮮ちらし丼の上げ底ぶりに多少苛立ちを覚えつつ、社内を覗く。
ガラス越しに、後ろ姿がライオネル・リッチーのような男が、外の景色を見て、昼間なのに黄昏てる。
近くの女子社員に訊ねる。
「誰?」
「名古屋から異動になった営業の課長です。せめて課長ぐらいは覚えてあげて下さい。42才、既婚。私の新人研修の時の講師でした」
「営業がこの時間に黄昏?」
「世界で一番自分がカッコイイと思っているそうです!」
えっ?俺じゃないの?
「落ち込んだ時は、窓に映った自分の顔に癒されるそうです!」
えっ?俺の顔は無理!
「雨降っても傘ささないと言ってました。雨に濡れないそうです!」
えぇー!脂性?
「私、真似したら、濡れました!」
「でも、占いで何でも決めるらしいです」
占い?
「今回の転勤も占い師が名古屋にいると体壊すって言われたから、志願したらしいです」
ところで、あなた何者?って聞きたいくらい、色々と教えてくれた。
シアワセな人ってどこにでもいるし、占いに凝ってる人もいる。
私もシアワセな人を通りこえて、おめでたい人の称号を時々頂くが、結構、気持ちがはっきりしているので、占いはそこまで信じていない。

たとえば、結婚まえに、「この人とはすぐ離婚 することになりますね」なんて言われたとしても、その時に結婚したいと思ってたら、なんと言われてもするだろうから、前もって言われてもしょうがない。
それに、物事って単独で存在するわけじゃなくて、それぞれが互いに関係し合ってる流れの中のものだから、たとえば病気だったら、その病気が顕在化するまえの潜在状態の時のことを忘れては困る。
なにかそうなった理由があるのかもしれない。その理由をみなくては。病気は敵ではなくてそれもまた自分なんだし。
私が嫌いなタイプの占い師は、病気や事故や別離や家族の不幸なんかをただ悪いこと、自分と敵対するもの!みたいにとらえてる人。
それらはみんな自分の人生の構成要素のひとつで、ある意味、普通のことだと思う。
またそれらによって何かに気づかされることもるだろうし。
学びのない経験は存在しない。
いいことは自信に。
悪いことは教訓に。

とりあえず、その占い師も大阪に来てもらわないと。
スピーディーに事は進めたいからね。