2014年9月24日水曜日

このところの日記ふりかえり

◎【今月のカフェ 100店目記念 西成・喫茶日本一】(9月23日)
すいません、ホンマは99店目やった。日記をアップしたあと、過去の【今月のカフェ】をさかのぼって順番にながめてたら最初のほうで2店しかとりあげてない回がありました。せっかくスペシャル・ヴァージョンにしたのにもうしわけない、バルタンさん。おわびのしるしにこんどはミックスジュースばかりやたらと飲むことにします。

◎三千回で三千院(9月22日)
京都には世界中のひとがやってくるって書いたけど、大げさにあらず。三千院への往復でもどれだけ外国のかたとすれちがったか。門跡前の茶店で昼めしを食べているときにはイタリア語、庭園をうろついているときには韓国語、帰りのバスを待っているときには英語がそれぞれ聞こえてきた。そんな場所に大阪に住む人間が初訪問なんてもったいないことをしてたなと思いました。

◎あのころ、阪急東通商店街 (9月21日)
このトシになって気づいたこと、ほかのひとより多少記憶力がいいみたいで…。なのでごくわずかなディスコ体験も鮮明に覚えていてそれを細かく描写するものだから、あのころはディスコでやたら遊びまわっていたような印象をあたえてしまったようで…。まあフツウの大学生ぐらいだと思ってください。このフツウというのがまたいろいろあるのだろうけど。

◎遊牧民出身、鳥取経由、新入幕6連勝 (9月20日)
この日は負けてしまったけど、そのあとは再び連勝、現在9勝1敗で全勝の白鵬を鶴竜とともに追ってます“怪物”逸ノ城。なによりもその勝ちっぷりがハンパじゃない。勝負がついたあとの場内がちょっとため息まじりになっているところがスゴイ。きょうはついに大関稀勢の里に挑戦、これはまちがいなく大関のほうがイヤやろうなあ。

2014年9月22日月曜日

オファーがきた!

本来ならこの連休はボストンでしたね。でも金が無いなぁ~。
ただそういうのは何とかなっちゃうのは、前からそうでしたからね。
だから恐らく「行きたい!」と思わせる事が無かったんだろうな。
FB観てたら従兄弟はナッシュビルに居るみたいだし、
ボソックスのホームゲームも無かったからペイトリオッツでもと思っていましたが、
従兄弟がナッシュビルじゃあ一緒に行けなかっただろうしね。
でも行きたかったなぁ~、なんて思っていたら1本の電話が。

12月か1月にライブをやろうと思うんだけれどどう?
で、メンツはVol,Key.Gx2,B,Dr,Cho,Hornとフルである事。
普段仕事で演奏している奴等が、仕事とは別に楽しみたいが為のライブ。
との事である。つまりほぼ現役のプロさん達なんですけれど、
私なんかで良いのだろうか?

それも一番最初に連絡くれたみたいで、他のベースは考えていなかったみたい。
嬉しいですね。期待に答えないと。でもビビりそうだな。
で、大人数なんでリハは2回だけみたいだし。
先月でライブ系のスケジュールは取り敢えず終わったのですが、
また忙しくなりそうです。

それとは別に仮デモ用の録音の参加を打診されました。
つまり、デモの前の契約している出版社とかに持って行く為用の録音です。
良いんですか?

「大丈夫だよ。」と。

先週書きましたが、ベースの弦を換えたらちょっと感じが変わってしまったと。
そんなんで、昨日はギタテクさんの所へ行って調整してもらってきました。

帰りに行きつけの店に行ったらビール出されちゃって、
飲んだら、かーっ!ときちゃいました。
ヤバかったです。

音源来た!何とタワーオブパワーだよ。
弾けるかな?
今日から16ビートっで過ごします。

2014年9月18日木曜日

キャピキャピの時代

 もう30年も前の話になるが10数人のグループを率いて課長をやっていた頃は忙しくて残業が100時間を越えるのは日常的なことだった。特に1984年はひどい年だった。

 今まで経験したことのないあるプラントの制御系のソフトを作成するグループのリーダーとして工場に優秀な部下2人を率いて派遣された。この2人は本当に優秀だった。私は扱うコンピューター言語も初めて、制御系も初めての初めてづくしで、派遣先の担当者も若いが優秀で、それが災いして関係を作り上げるときにイニシアティブを取ることができず、ニーズを理解できずに設計が遅々として進まなかった。日程は遅れっぱなしで、心配した上司が色々人を送り込んでくれたが、一度つまずいたプロジェクトはなかなか軌道には乗らず、それでも何とかオランダの工場への納品までこぎつけた。

 この間は顧客、上司、手伝いに来た社員から批判を一身に浴びて、こちらも済まないという気持ちから毎日が地獄のような日々だった。

 その年はいつになく新卒の女性が大勢入ってきた。いつもは2、3人だったのが7、8人近くは入って来て、またその娘たちが当時流行っていたキャピキャピ女子大生そのままだった。明らかに男性従業員は足元がふわふわと浮いていた。あっちこっちと走り回って若い男性社員に媚を売っているし、彼等も満更でもない様子だった。可愛らしい絵のついたメモ用紙で伝言などしているのだった。私は出向のような形で外に出ていたのであまり馴染みがなかったし、課長でもあったし、若くもなかったし、状況が逼迫していたので怖い顔をしていたろうしで、敬遠もされていたのだろう、あまり彼女らとは接触はなかった。

 彼女らの数人もプログラムの手伝いに来たが、私が彼女らの作ったものに不満で「なあんだ」と失望の念をあらわす独り言をつぶやいたら泣きそうな顔をしていたと部下に教えられた。「あれは可哀想ですよ。他に言い方がありますよ」と。自分では意識していなかった。

 実はキャピキャピが嫌いだった。というか反発を抱いていた。だからいい顔なんかするものかと思っていた節がある。

 当時、オールナイトフジという番組が土曜の深夜に放映されていた。これにオールナイターズという素人の女子大生が十数人出演していた。彼女らはまさにキャピキャピ世代なのだ。そしてこの中から三人が選ばれて「おかわりシスターズ」というグループを形成してアイドルとなって行った。これが後の「おニャン子クラブ」、「モーニング娘。」、「AKB48」に繋がって行った。

 土曜日も休めない忙しい一週間が終わって家に辿り着いてテレビのスイッチをひねると彼女等が自分達のレコードのプロモーション・ビデオを流してキャピキャピしている。「何だ、こいつら」と思いつつも心が癒されていた。

 そして地獄の日々から解放されて会社を辞職する決心をした。米国へ英語留学をしようと思い立ったのだ。とにかく人生を変えたかった。30半ばに手が届こうという歳だった。そのまま中年のおじさんにはなりたくなかった。

 米国の大学の留学生のための英語教室に8ヶ月、英国に3ヶ月、欧州旅行を1ヶ月。

 帰国後、英国で知り合った今の妻との生活。

 本当に人生が変わってしまった。今、思い返してみると、1985年を境にまったく異なる人生を送ってきた。何かワープしたような感じで、そのころが30年も前に思えない。
 そして今YouTubeで彼女等を見ていると、あの頃の思いが重なって深い感慨に浸ってしまうのだ。

2014年9月15日月曜日

スマブラfor

ガード関連

出し方はガードボタンを押すだけ。
シールドを貼って投げ以外の攻撃を防ぎます。

ただし、ヨッシー以外はガードしていくと
どんどんシールドが小さくなっていきます。

シールドがない部分に攻撃されるとくらうし、最終的には割れます。
割れるとぴよって死ぬ
戦場の台上だとガー不連携とかもあります。

今作では空中攻撃の硬直が増えているのでガードからの切り返しが超強いです。

ガードからキャンセルして出せる行動は以下の2つ。
①投げ
②ジャンプ
 ②-1 上スマ
 ②-2 上B
 ②-3 空中攻撃
③緊急回避


①投げの主な用途としては、差し込んできた攻撃の確定を取ること
具体的には、ダッシュ攻撃・空中攻撃をキャラクターの正面からガードした時の反撃用

投げの利点として、攻撃のリズムを作りやすいってのと、
ライン(場外と自分との位置関係)を入れ替えれるってのが強いです。
一部キャラは投げからのコンボも有り。

今作はワイヤー掴みも発生が早くなってるので、全キャラ共通で使えます。

②はキャラクターによります。

例を上げると以下のキャラ
上スマ
 フォックス、ファルコ → バーストまでできる
上B
 クッパ、リンク、ドンキー →裏表両方に攻撃判定がある
空中攻撃
 メタナイト、ネス 空N →裏表両方に攻撃判定がある

などなど・・・

ちなみに②ははじきジャンプオフにしてると、
ちょっと工夫しないと出ません

ジャンプ移行をキャンセルして上スマュor上Bを出しているので、
ジャンプボタンとのずらし押しじゃないと出ません。

③は単発攻撃をかわして痛い反撃を入れたりとか回りこみたいときとか。
ただし、N緊急回避はディレイや持続の長い攻撃に弱く、
横は相手側だと下スマや反転横スマに弱く、
相手との逆だと崖際になって追い込まれてしまいます。


①②③以外にも、ガード解除からの弱だったり横強だったり反転投げだったりとキャラによって様々です。


上記をふまえて、反撃を受けないように攻めるには
・攻撃の先端を当てるようにする
・ダッシュ攻撃・ジャンプ攻撃は相手の後ろ側で着地するようにあてる

が基本です。

キャラの組み合わせによって反撃される位置とされない位置があるので、
そこは自分の持ちキャラと相談で。

ガードの基本はこんな感じ。
ただ、ガードが超強いからといってガードばっかしてるとダッシュ投げとかシールドを削られて死にます

ひょうげ祭りにて (ひょうげるとは讃岐弁でふざけるという意味です)

初めての参加だったのですが 同じ地区なので知り合いも居て楽しかったです まず受付で参加料1000円を払い 県民定番の昼食のさぬきうどんをいただき 化粧をしてもらいました 僕が中途半端な人間なのできつい顔に描いてもらいました 衣装(農業用肥料の袋製)鬘(棕櫚の木の皮製)刀(南瓜の刀のつばに里芋の茎の刀)笠はハスの葉っぱ 早めに衣装を整えて表に出るとカメラの一斉攻撃にあいました 3~4列に並んでシャッターを切りまくり 10センチ未満で接写をする人も 人生もうすぐ70年 今までに撮った写真の何倍も写されてしまいました 目立ちたがりの爺の素晴らしい日でした 地区の文化祭には写真展があり グランプリなら商品も出るらしいので今から楽しみです ちなみにその時履いた藁草履をもらってきてしばらく履くつもりです メイクした顔がうまくアップできないのが残念